survivorstory tammy richardson

サバイバーストーリー:タミーリチャードソン(ステージ3)

生きるために毎日を計画する

2020年7月23日

著者 タミーリチャードソン

•膵頭十二指腸手術はステージIIIの膵臓がんの診断につながった
•ゲムシタビンによる術後化学療法
•フォルフィリノックス(FOLFIRINOX)の難しさは化学療法終了につながった
•腫瘍による痛みを軽減するための放射線療法
•生活の質の選択

53歳の誕生日の翌日である2017年2月8日、私は膨大部の膵臓癌と診断されました。

編集注:膵臓の膨大部は、ファーター膨大部とも言われ、十二指腸乳頭部があります。十二指腸乳頭部は、十二指腸の中心付近に位置し、肝臓で作られる胆汁の通り道である胆管と、膵臓で作られる膵液の通り道である膵管が合流し十二指腸に開口する場所です。

 

振り返ってみると、ここ数週間、私は努力してもいなかったのに何キロも体重を落とし、胸やけに苦しみ、疲れていました。尿が暗くなったとき、私は医者に行き、尿路感染症と診断され、抗生物質を処方してもらいました。血液検査で肝臓の数値が高いため、医師は肝炎にかかったと思ったようでしたが、次第に私の気分が回復してきたので、診断は単なるウイルスによるものと変更されました。

医師はさらに多くの血液検査を行いました。また、肝臓の数値が増加したため、CTスキャンを撮ることになり、救急処置室に送られました。スキャンの結果、胆管が詰まっていることがわかりました。次に、2回の超音波内視鏡検査と胆管を開くためにステントを配置するERCPも行いました。

編集注:内視鏡的逆行性胆道膵管造影(ERCP :Endoscopic Retrograde Cholangio-Pancreatography)は、内視鏡カメラを口から入れて胃、十二指腸を通り、十二指腸乳頭部まで進め、胆管や膵管に直接細いカテーテルを挿入し、造影剤を注入してレントゲン写真を撮影します。

■治療法の選択

2017年3月11日、インディアナポリス市のインディアナ大学ヘルスセンターでマイケルハウス博士から膵頭十二指腸切除術(ホイップル)をする必要があると言われ、そうすることにしました。この手術により、腫瘍をすべて切除することができ、切除した組織の断端(切り口)を調べてた結果も、確実にがんを切除できたというものでした。しかし、私はもともとステージIであると考えられていましたが、この手術の後、ステージIIIだと言われました。

このため、当時私の腫瘍内科医であったサフィ・シャダ博士から、手術後に6か月の化学療法が必要であると言われました。 2017年10月にゲムシタビン(商品名ジェムザール)の術後化学療法が終了しました。減量や吐き気などのひどい副作用があったため、この治療は私にはあまりあいませんでしたが、なんとか耐えられました。がんを寛解することは必要ですが、結局、二度とこのようなつらい化学療法をやるつもりはないだろうと思いました。

私はがん遺伝子パネル検査を受けましたが、私の健康保険ではカバーされなかったため、自費で5,000ドル支払う必要がありました。私は、がんの特徴に合わせた適切な薬を服用してがんを攻撃することを保証するために、アクショナブルな遺伝子変異があるかどうかを確認しようと思いました。しかし、パネル検査ではアクショナブルな遺伝子変異は何も見つかりませんでした。

編集注:米国の研究では、約半数の膵臓がん患者にアクショナブルな遺伝子変異が見つからなかったと発表されました。

3か月ごとに経過観察の検査を行ってきましたが、2018年5月の検査でCA 19-9腫瘍マーカーが上昇し始めていることに気付きました。そして、2018年11月に治療の選択肢を再検討する時がきました。私の医者は常に生活の質を重要視してくれていたので、私は家族で楽しんだり、休暇は旅行したりしていました。主治医とは、年の初め頃から抗がん剤治療を再開することについて話し合いました。

2019年2月、私はFOLFIRINOXによる化学療法を開始しました。それは恐ろしいことでした。私はずっと強い副作用のために病気でした。私は化学療法とそれが私の体に与えている副作用のすべてを嫌いました。 3回目の投与の後、私は「生活の質」を維持することの方が予後を伸ばすよりも重要であると判断しました。そして 2019年3月にFOLFIRINOXによる治療を中止しました。

その後、健康的な食事とジュースを試し、砂糖を取り除き、ビタミンCを含む多くのビタミンを摂りました。私は、腫瘍が神経を圧迫することで背中の痛みを経験し始めた2019年10月までは、ほとんど気分良く、元気に過ごすことができました。 2020年の1月と2月に、腫瘍を縮小するために高線量の放射線療法を受けました。それにより、痛みに対する麻薬の投与量を4時間ごとから1日2回に減らすことができたので、放射線はいくらか効果があったと思います。しかし、5月になると腫瘍は再び成長し始めました。私の腫瘍マーカーは増加し、CTスキャンによって腫瘍の成長が確認されました。

■ホスピスが私の人生を助ける

私の現在の腫瘍専門医であるパトリックレーラー博士は、必要のあるすべてのサービスを利用するために、ホスピスを早く始めることを勧めてくれましたので、それについて考えた後、同意しました。私はまだ大部分が元気です。ホスピスに伴う汚名があることは知っています。それは人生の終わりを意味するからです。私にとっての主な理由は、毎月の鎮痛薬を得るための戦いでした。どの投与量が私にとって最も効果的かを確認するのは試行錯誤でしたので、投与量は時々変更されます。変更ごとに保険の承認または拒否、あるいはその両方が発生し、先月は数日間鎮痛剤がなくなり、痛みに追い回されることさえありました。正直なところ、薬を処方してもらい、保険申請をし、承認を得て薬局で薬を買うなど、自分の治療を継続するためにしなければならないことはたくさんあります。ほとんどの日、私はまだ癌があることを否定していますが、鏡を見るとわかります。筋肉量が減り、体重にも2桁の減量が見られ、癌はより現実的なものになってきています。

インディアナ州でCOVID-19の規制が緩和されたので、外食したり、友人や家族と再会することができました。夫と私は50の州を全部回ることを計画し、それを完了する約束でしたが、まだ、デラウェア州とロードアイランド州の2つが残っていました。7月の初めに規制が緩和されたので、土壇場で決定を下し、最後の2つの州を訪問することにしました。私たちは、最後の州であり、米国最小の州であるロードアイランド州で約束の旅行を終了しました。ロードアイランド州ニューポート市は、素晴らしい場所でした。

7月19日土曜日、私たちは120人以上の参加者を迎えて、私の名誉のために募金活動を行いました。

私は膵臓がんと診断されたとき、医師から治療をすれば多分1年、おそらく2年は生きることができるかもしれないし、治療をしなければ1年ぐらいは、生きることができるかもしれないと言われました。私は現在3年以上の膵臓がんのサバイバーであり、できる限りの人生を楽しんでいます。私のリストにはまだやるべきことがたくさん残っています。人生‘(の神様)には独自のプランがあることはわかっていますが、その日がくるまで、私は毎日、生きるために計画し、元気に生き続けます!

 

(Source:Survivor Story-Let's Win Lustgarten Foundation)

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<免責事項>この医療記事は、サバイバーの経験を紹介する目的で書かれています。特定の治療法や薬の使用を推奨するものではありません。ご自身の病状については、担当医とよく話し合ってください。このウェブサイトの情報を利用して生じた結果についてPanCANJapanは一切責任を負うことができませんのでご了承ください。

 

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