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サバイバーストーリー:ミッシェルスティール(ステージ4)

■痛みと共にやってきた膵臓(すいぞう)がん
2016年の2月の終わりに、日本にいた私は膵臓がんと診断されました。実際に何かおかしいという兆候は全くなかったので、それは本当にショックなことでした。
 当時私は51歳で、それまで一度も病気を経験したことがなく、健康に過ごしてきました。しかし、数ヶ月にわたって、重い背中の痛みを経験していました。私はそれが、ストレスからくるものであり、筋肉の凝りや神経が圧迫されて起こることであると考えていました。しかし、胸骨の下にも痛みを感じ始めたので、もしかしたらその痛みが背中の痛みと関連している可能性があるのではと考え始めました。
医者が膵臓がんの診断を下したときの私の最初の反応は、「OK(いいわ)、これを取り除くためには何をする必要があるの?」でした。私は当時、膵臓がんがどれほど深刻なのか、それがいかに難しい病気かを理解していなかったのです。

 

■最初の抗がん剤治療「ゲムシタビン+ナブパクリタキセル」
私は群馬で治療を開始しました。そこでは早い段階で、私の膵臓がんは手術が選択肢ではないことを伝えられました。最も大きな問題は、がんが動脈に接していることでした。その後、がんが肝臓に転移したことが明らかになりましたので、「私のがんがステージIVであった」という事実により、手術をするかしないかという議論は対象からはずれていました。

抗がん剤治療がスタートしました。私はまず強力な化学療法を数ヶ月投与しましたが、その時選択したのは、最も早く治療が始められる化学療法――「ゲムシタビン+ナブパクリタキセル(Gemzar / Abraxane)」――でした。この2つを組合わせた治療法は強いもので、私は重度の神経障害を経験しましたが、「がんを攻撃する」と決めていたので、私は休薬せず、全量投与のスケジュールを完了しました。

 

■私の心に寄り添ってくれたのは、「きっとあなたは病気に打ち勝つ」という1つの声
早い段階で、私はpancan.org(パンキャン(米国すい臓がん患者支援団体)のHP)を発見しました。パンキャンは本部がアメリカのマンハッタンビーチにあり、私が育った場所に非常に近かったのです。連絡先のページをスクロールすると、東京にも支部のオフィスがあることに気付きました。私は即座にこれが「一つの運命」だと思いました。私はそれから東京のオフィスに頻繁に連絡をとるようにしました。また、自分の意志を燃え上がらせる必要があるときはいつでもpancan.org(パンキャンのHP)に連絡をとりました。私に希望があることを思い出す必要があるときは、いつもです。
これらのやり取りを通して、私は自分が「この病気に私は勝つわ!」と思ったとき、そうだと確信させてくれる1つの声を得たのです。――「もちろん!」。それは、東京オフィスでパンキャンの日本支部の代表をしている、眞島さんの声でした。時に私は、「私がこの病気に勝つのはもちろんのことだ」という彼の自信に、信じられないという思いを持つことがあります。この人はどうしてそんなに確信を持っているのでしょう? 病気に関わるすべての統計は、私が非常に悪い状況にあることを示唆しています。しかし、私が眞島さんに電話すると、とてもリラックスした声が迎えてくれます。「問題はありませんよ。あなたは病気を打ち負かすでしょう。」 そうした会話を重ねながら、時間の経過とともに、私は彼を信じ始めました。

 

■信じる気持ちが、私に勇気と自信を与え、さらなる一歩へと押し出してくれた
私は多くの治療の選択肢をさらにたくさん探して、ありとあらゆるものを検索しました。私はセカンドオピニオンに行きました。さらにサードオピニオン、フォースオピニオンにも行きました。「私が生存するための最良のチャンスは手術だ」と言われましたが、しかし、私が話を聞いたすべての医者は、「あなたのがんは動脈に接しており、がんが肝臓に転移をしているために手術はできない」と言っていました。

最後に、私が訪れた5番目の病院で、私には希望が見えてきました。それは診断からちょうど6か月経っていたころ、千葉の外科医が「動脈の関与は、手術するうえでの障害ではない」と私に言ったのです。「『コイル塞栓術』と呼ばれる手技があり、動脈を伴う場合でも手術が可能だ」と言いました。
しかし、問題は肝転移でした。「もし、化学療法がさらに6か月間働いてくれれば、手術の対象になる可能性がある」と彼は言いました。
私はその目標を達成することを決意しました。そのころ、私は神経障害は激化し、私の指と足はいつも麻痺していて、私の顔は部分的に麻痺していました。でも、私は気にしなかった。私は完全な総投与量で化学療法を継続し、手術を受ける資格を得るためにがんを抑えた状態に保ちました。

 

■いよいよ外科手術へ―医師への信頼と生への確信
2017年2月24日、私がステージIV膵臓がんと診断された日からちょうど丸1年経った日に、東京で手術を受けました。以前「動脈の関与は、手術するうえでの障害ではない」と言ってくれた千葉県の医師が、自分を指導した、暖かくやさしさのある外科医を紹介してくれました。私はそのことに感謝しました。紹介された外科医と彼のチームも自分たちのスキルに完全な自信を持っていたので、私は手術を成功に終わらせてくれた この外科チームの能力を疑うことは決してありませんでした。
私は2人の息子の母親です。私は母として、彼らのもとを去ることはできないことを最初から思ってました。子供たちに対する私の愛情は、私のがんとの戦いへの意志を強くし、私を闘い続けさせています。もし私が最初の医師の余命宣告―「一年生きられるかな」をすんなり受け入れていたならば、私はそれ以降、それほど激しく闘えなかったかも知れません。今、私はここにいないかもしれません。

しかし、私は「生き残る機会がある」と信じることを止めたことはありません。 pancan.org(パンキャンのHP)のサポートと私の子供達への愛情をもって、私は耐えられる力を持っていました。

 

■私の前にある1本の道
私はどれくらいの間生き延びることができるのかは分かりません。私のなかにいるファイター(闘う人)は、私が絶対に諦めることはないと確信していますし、私は自分の息子の成長を見続けるために生き続けるだろうと思う。
私の命がどれほどだったとしても、ひとつ確かなことがあります。それは、「私は、他の人々がこの病気から生き残るのを助けたい。私は、他の人々が生き続けていくことを励まし、助けるために、自分に残された時間を使いたい」と思います。

どうか信じることをやめないでください。私たちには希望があるのです。
私は、私たちが膵臓がんについての憂鬱な統計を変えることができると信じています。
私たちは生存率を延長することができるのです。
すべての治療が選択される前に、最初にあるステップは、「信じること(to believe)」なのです。

 

*個人情報の関係で、ご本人との直接の連絡はできないことをご了承ください。

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<免責事項>この医療記事は、サバイバーの経験を紹介する目的で書かれています。特定の治療法や薬の使用を推奨するものではありません。ご自身の病状については、担当医とよく話し合ってください。このウェブサイトの情報を利用して生じた結果についてPanCANJapanは一切責任を負うことができませんのでご了承ください。

 

 

English Version (original text)

  At the end of February 2016, I was diagnosed with pancreatic cancer.  It came as a complete shock, as there really had been no indication that anything was wrong.
  I was fifty-one years old, had been in good health my whole life, but for several months I was experiencing severe back pain.  I assumed it was stress, a knot in my muscle, or a pinched nerve.  Eventually, however, I was feeling pain below my ribcage, and I began to suspect that it might be connected to the back pain.
  When the doctor confirmed the diagnosis, my first reaction was, “OK, what do I need to do to get rid of this?”  I didn’t understand at the time just how serious it was, how difficult it was.  

  I began my treatment in Gunma, and I was told early on that surgery was not an option.  The first issue was the involvement of the arteries.  After that, it became clear that the cancer had metastasized to the liver, so the fact that I was Stage IV further prevented any discussion of surgery.
  I spent months getting injected with strong chemotherapy.  I chose the chemo I could get the earliest, and that was Gemzar/Abraxane.  The combination was strong, and I experienced heavy neuropathy, but I was determined to attack the cancer, so I kept at it, without a break, and at full dose.

  Early on, I discovered pancan.org.  I saw that the headquarters was in Manhattan Beach, very close to where I grew up.  When I scrolled down the contact page, I noticed there was also an office in Tokyo.  I immediately saw this as a kind of destiny.  I began contacting pancan.org often, whenever I needed to be reminded that there is hope, whenever I needed to reignite my determination.  Through all of this, there was one voice I could count on to make me feel like, “Hey, I can beat this!  No problem” and that was the voice of Mr. Majima, the director of pancan in Tokyo.
Sometimes I would smile at his confidence in disbelief.  How could this man be so sure?  All of the statistics suggested that I was in a very bad situation.  But I would call Mr. Majima, and he would sound so relaxed.  “No problem.  You’re going to beat this.”  And, over time,  I began to believe him.  
  I searched everywhere, it seems, for more treatment options.  I went for a second opinion, and then a third, and a fourth...I had been told that the best chance for survival was surgery, but all of the doctors I was meeting were saying they could not perform surgery due to the arteries and the liver mets.
  Finally, at the fifth hospital I visited, I got some hope.  It was six months after the diagnosis, and a surgeon in Chiba told me that the arterial involvement was not an obstacle.  There was a procedure, called coil embolization, that would allow surgery even with arteries involved.  The problem was the liver mets, and he told me that if the chemo kept on working for another six months, I could be considered for surgery.
  I was determined to make that goal.  The neuropathy intensified.  My fingers and feet were always numb, and then my face became partially paralyzed.  I didn’t care, though.  I wanted to keep on the chemo at full strength, and keep the cancer inactive so that I could become eligible for surgery.
  On February 24th, almost exactly one year from the day I was diagnosed, I received surgery in Tokyo.  I feel blessed that the doctor in Chiba referred me to his mentor, a surgeon with warmth and tenderness, so that I always felt cared for.  The surgeon and his team also had fierce confidence in their skill, so that I never doubted their ability to get the job done and give me the best treatment possible.
  I am the mother of two sons.  I knew from the beginning that I could not leave them.  My love for my children fueled my fight, and continues to keep me going.  If I had accepted the prognosis of the first doctor, “maybe one year to live,” I might not have fought so hard.  I might not be here today.
But I never stopped believing that there was a chance for me to survive.  With the support of pancan.org, and the love for my children, I had the strength to endure.
  I don’t know how long I can survive.  The fighter in me thinks I won’t give up ever, and that I will live to see my sons  start to grow old.  But no matter how long I live, one thing is certain.  I want to help other people survive this disease.  I want to use whatever time I have left to help support and encourage others to keep going.
  Never stop believing. There IS hope.  I believe we can change those depressing statistics.  We can extend the survival rates.  The first step, before any treatment is selected, is to believe. 

 

 

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